不思議の国のアリス症候群って普通のことだと思っていた。

今日、いつも行っているママ友のところへネイルへ。

そのママ友のお子さんは生まれつき先天性の障害を持っているので

いつもいろんな話をします。

そこで出た話。

「うちの子が見えてる世界ってどうも同じじゃないみたい」

 

ほうほう。

人がどんな世界を見てるかってその人にならないと分からないんだよな~。

何年か前に私が友達とランチをしていた時。

 

「あー〇〇ちゃんの顔が大きくなってきたーあ、小さくなった。」

 「ちょっと待って、終わったら話聞く。」

 「あ、何やっけ?」

というと友達が

「あんた何言ってんの?」

というやり取りがあって、

 

【え?みんな顔小さくならへんの?】

 

という人との違いに気付いたんです。

これ、不思議の国のアリス症候群って言うらしい。

私アリスラブ

だったら可愛いからええか。

いや、ちゃうちゃう。

 

私の場合、一回顔が大きくなったり小さくなったりすると

話が入ってこなくなるという

お耳OFF状態に入るので、

話を止めてもらったんですが。

 

発達障害や他の障害があるかないかにかかわらず、

見えている世界って同じかどうか分からないですよね。

皆同じものが見えているものだと思っているし、

自分に見えている世界は正しい訳です。

それしか知らないので。

 

あまり気にしていなかったので忘れていましたが、

先天性の疾患を持っていたのは次男・三男だけではなかった。

 

長男も色覚異常で、将来パイロットなどなりたくてもなれない職業があります。

私の父も色覚異常者なので、遺伝だと思います。

私は息子が普通の人には見えない物の見え方に可能性を感じています。

私は息子がどんな世界を見ているのか分からない。

で、色覚異常者にだけ見える絵を見るとスパッと当てる。

なので当然ながら見えている世界は違うんですが、

それを確かめようもなければ

同じ世界を見ることもできない。

 

人と違うってことは、

ある意味人が見えない部分が見える。

ということですし。

そのスキルは新しいものを創造するには

必要なスキルなんですよね。

 

ただ、このスキルが行き切ると

【私は神なのである】

【私はこの世の中全てを操っている】

とか

「あちゃ~いってもうてるなガーン」事件に

発展するんですが。

 

私も小さいころから

「理解されない」ということに苦しんできましたが。

当然ながら同じADHDや発達障害の中では

「あ~そうそう!あるあるやんな。」という話になるんですよね。

 

ということは、逆に私も発達障害ではない人を

理解することができないんだと気づいたとき。

【分かり合おうと無駄な労力を割く】ことをやめ

【得意分野で助ける】【苦手分野は助けてもらう】

この関係を作ることに労力を割くことにしました。

 

そこから人生がとても楽しくなったんですが。

いつかに聞いたこの詩は私の頭の中で強烈に残っていました。

金子みすゞさんのこの詩。

 

【私と小鳥と鈴と】

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

そう思える世の中になってほしいなぁ~と思います。